『スポーツの多様性』
みなさん、こんんちは!
『タニさん』です。
ブログを始めて1週間、なんと更新した記事は一つ!!!!!!
三日坊主にもなりきれないタニさんです…
今日から1日一記事くらいはがんばって書きたいと思っています。
適当に書いて内容のない記事になっても嫌やなって思っていたのですが…
さて、今回は『スポーツの多様性』ということについて書いていこうかな。
(令和元年5月24日(金)スポニチさんの記事です)
(リンク勝手に貼って怒られへんのかな??ってビクビクしてます)
(→完全素人w)
さて、本題に戻って、今朝起きてネットでスポーツ記事を見ていたらスポニチさんの記事を発見しました。
記事内容は簡単に言ったら、「高校球児が全員甲子園を目指さないといけないのか?」という内容です。
簡単にまとめすぎてスポニチさんの記者さん(君島圭介記者)に怒られそうですが…
この記事の内容は以前より気になっていた部分、なかなかいい表現が見つからずにもやもやしていた部分をスパンって言ってくれているので、すごくストレートに(野球だけに)刺さりました。
スポーツをやっていると必ず当たる壁が「目標設定」だと思います。個人的な目標設定もそうですし、チームとしての目標設定についてもどちらにしても「プロを選手になる」「全国大会に出る」が絶対だ見たいな風潮ありませんか?
特に今回はチームの目標設定に関してだけをとりあげるならば、多くの高校生が「全国出場」の四文字を掲げて日々の活動に邁進しているのがみられます。
もちろん悪いとは思いませんが、実際のところどうなんでしょうか?
なぜ高校の部活で「楽しく活動する」ということが二の次に追いやられている感じがするのに違和感を感じます。
もちろん、うちはそうじゃないよって高校もたくさんあるとは思いますが、現状まだまだ少ない気がします。
「全国出場」つまりは勝ちに拘る、特に監督・コーチが、その場合どうなるのでしょうか?
監督・コーチが勝ちに拘りすぎて、結果がでない場合、日本のスポーツ界、とりわけアマチュアスポーツにおいては「選手が悪い」って評価されことがほとんでどではないでしょうか?
まともな指導者なら、結果がでなければ自分を責めてどうすれば目の前の子供が成長するかを必死に考えると思います。
自分で言うのもあれですが、私はそうやっています。
勝ちに拘り過ぎてしまうとことによって、市立尼崎高校のバレー部の事件(事件ってあえて書いてます、体罰はただの傷害事件という認識なので)のようなことが起こってしまうんですよ。
高校教師でない自分がいうのは現場をしらないからだと批判を受ける可能性はありますが、高校ってそもそも人間形成を行う場なのでは?と思います。
その教育現場で教師からの暴力(言葉の暴力も含む)はもっての外。
話しがそれてきたので本題に戻して、そもそものスタートが「人間形成のための部活」その過程でスポーツを極めようとする集団が仲間で切磋琢磨し、競い合い、競技力が向上していくというのが自然な流れではないでしょうか。
「全国出場」が絶対正義みたいな考えはもうやめましょう。
目指したい人は目指せばいいし、そうでない人はスポーツを楽しもうじゃないか!!
「何のためにスポーツしているの?」の答えが「楽しいから」が一番でしょ。
「楽しい」にはいろいろな種類があるので、人によってかわります。
勝つことが楽しい人
仲間と目標に向かって歩めるのが楽しい人
できないことが一つでもできるようになるのが楽しい人
もしかしたら、人と一緒にいるだけで楽しい人
いろいろな楽しいがあってよくないですか?
時代の変化が激しい世の中というのであれば、学校・部活も変わっていくべきなのではないでしょうか?
変えようとしている学校関係者の人も何人か知り合いにいます。
そのような方が1人でも多く、コミュニティを広げて、新しい風が吹けばいいかなと思います。
全然何言いたいの?ってまとまりのない文章ですが、今日はこのへんで。
最後までもし読んでくださった方はありがとうございます。
では、また!